できちゃった学生結婚のその後

できちゃった結婚ってどうなの?学生結婚ってどうなの?そんな人には参考になるかも知れない、大学院生主婦のブログ
結婚する前にしておく3つのこと
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散歩
私はよく何もない場所でも転びそうになったし
結婚の少し前に自転車でコケてあごを縫う騒ぎを起こしていたので
お腹が大きくなってからは「あまり歩き回るな」と言われていた。

これが、私の出産を遅くしたのではないかと今でも疑っている。




そんな訳で、私は陣痛促進剤を使って出産するべく
7月1日に入院準備をして病院へ向かった。

いつも健診にはタクシーを使って一人で行っていたのだが
入院ということで夫が研究室を休んで付き添ってくれた。



入院前に一応医師と話すことになっていたので
いつもの健診と同じように診察を受けた。

「どうしますか、今日入院しますか?」と医師は聞く。

そのつもりで来ていたが、
ネットなどで仕入れた陣痛促進剤の話を思い出すと決心が鈍った。

「どうするか決めるのは、あなたですよ」と医師は言う。



午後までどうするか迷いに迷って
「あと1日だけ待ってください」と答えた。

立ち会うつもりで研究室を休んだ夫は機嫌を悪くしてブスッとしていたが
私はもしかしたら次の日には陣痛がくるんじゃないかと思ったのだ。



翌日、私は歩きまくった。

階段の昇り降りで胎児が降りてくるという話を信じて
ひたすら階段を昇ったり降りたりしたし
近所をぐるぐると散歩した。

夜、確かに胎児が降りてきた感じはしたけれど
相変わらず胎動は元気だったし
ついに朝まで陣痛はやってこなかったのだった。
| みぃ | 学生妊婦 | 16:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
陣痛促進剤
「陣痛促進剤を使って生んじゃいましょう」と医師は言った。



薬を使って生むなんて考えた事も無かった私は
家に帰って陣痛促進剤についての情報を集めた。



陣痛促進剤についてネットで検索すると、
おそろしい情報が次から次へと出てくる。

さらに、母が知り合いから陣痛促進剤で死にかけた話を仕入れてきて
私を益々震え上がらせてくれた。



しかし、入院日はもう決まってしまった。
あとは入院日までに陣痛が起こることを願うしかない。

私は何度もお腹に向かって「早く出ておいで〜」と
泣きたいような気持ちで話しかけた。



しかし、陣痛は入院日までにはくることはなかった。

胎児は私の気持ちを知ってか知らずか
ますます元気にお腹の中を泳ぎまわっている。



仕方なく陣痛促進剤を使って生む覚悟を決めて入院準備をし
7月2日、私は夫と一緒に病院へ向かったのだった。
| みぃ | 学生妊婦 | 11:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
3Dエコー
妊娠中のお正月で夫の実家に行っている時、
妊娠5ヶ月だった私は熱を出してしまった。

義母が調べてくれた産婦人科の当番医に
「たまごクラブ」で読んだ3Dエコーがあった。



正直、エコーなんて2Dでも3Dでも変わらないと思っていた。



だけど、やってみてビックリ!

2Dでは何がなんだかわからない写真になってしまうのに
3Dではハッキリと目鼻立ちがわかるのだ。



私のお腹の中では胎児が目をつむって指をしゃぶっている。
それが、画面にハッキリと映る。

感動した私と夫は、そのエコーの画像を写真にしてもらい
持ち帰って「誰に似てるかな?」なんてことを
真剣に話し合ったりした。



私は妊娠中にもらったエコーのプリントを
色あせないように写真屋で写真に焼いてもらって保存しているが
2Dエコーは時が過ぎるとどこが頭かわからなくなってしまうのに
3Dエコーでは今でもハッキリと指をくわえた娘がわかるのだ。

3Dエコー、おすすめです。
| みぃ | 学生妊婦 | 13:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
生まれない!
初産は時間がかかる。

それは知っていたけれど、
初産は出産予定日より遅れがちってことは知らなかった…



臨月に入り、私はハッと気付いてしまった。

この大きく膨らんだお腹に入っている大きく育った胎児を
お腹から出してやらなくてはいけない、という事実に。

きわめて当たり前のことなのに
それまではのほほんと生まれた後のことばかり考えて
出産というイベントのことを意識していなかったのだ。



「出産しなくてはならない」という事実に気付いてからは
未知の痛み=陣痛の恐怖に昼も夜も脅かされ続けた。

少しお腹が張れば「まさか…!?」と思い時計を眺めて
張りの間隔を測るのは日課のようになったし、
胎動が少し静かになれば「降りてきた?」と思ってドキドキした。

いつ陣痛がくるか
いや、もしかしたら破水が先か
と、神経を磨り減らしていた。



それなのに、生まれない。


出産予定日間近になると、周りもそわそわし始める。

祖父母や叔父叔母からの「生まれたか?」という声は
両親が気を利かせてシャットアウトしてくれたのだが
その両親もそわそわしているのが伝わってくるのだ。



それでも、生まれない。



出産予定日から10日ほど過ぎた妊婦健診で
ついに医師から「陣痛促進剤を使って生みましょう」と言われた。

42週を過ぎると出産時のリスクが急増するというのだ。



医師は「入院の日を決めましょう」と言う。
突然のことに驚きながら、7月2日に入院と決めたのだった。
| みぃ | 学生妊婦 | 14:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学院
私の妊娠が発覚したのが10月末。

夏に2つの大学院を受験し、その合格がわかって
どちらの大学院に進学しようか迷っていた時だった。



出産を決意して大学院を一度あきらめたが
両親が「大学院は出してやる」と言ってくれたため
私は学生ママの道を歩むことになった。

自動的に事情を知っている出身大学の院に入ることになり
入学手続きを行った。



しかし、夫の研究室の教授の助言で
大学から遠く離れた私の地元へ引っ越すことになり
研究室へ通うことができなくなってしまった。

そこで、籍を出身大学の院に置いたまま
地元の国立大学の研究室で実験をさせてもらうことになった。
私の父がコネを使って頼み込んでくれたのだ。



修士課程は2年しかない。
しかし、そのうちの半年は私は出産と育児のために研究はできない。

小さな子どもを持つ女子学生など、どこの研究室も欲しくない。
実験は遅くまでできないし、いつ休むかわからないのだから。



男子学生は、結婚していようと小さな子供がいようと
欲しいと言う研究室を探すのは、そう難しいことではない。
夫はすぐに受け入れ先の研究室が決まった。

一方、私はなかなか決まらず大変苦労した、と父は言っていた。





引越しして落ち着いた頃、私は大きくなったお腹を抱えて
受け入れ先の教授に挨拶に行った。

優しそうな教授は「お父さんのことは良く知ってるよ」と言い
忙しい時間を割いて研究室を案内してくれた。

私はそれまで父のコネを使うことを嫌悪していたのだが
こういう状況になり、父にコネがあったことに感謝した。


研究室の雰囲気はとても良かったのだけれど
研究の内容が今までと全く違う内容だったことと
留学生がとても多かったことに戸惑った。

私は復帰までに勉強するため、おすすめの本を借りて帰った。
結局、復帰までに勉強することはほとんどなかったのだけど…



私はそれから学位取得までの6年間、その研究室で御世話になるのだった。
| みぃ | 学生妊婦 | 12:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
立会い出産講習会
夫も出産に立ち会うことが可能らしい、と聞いて私の夫は大喜びした。

立会いたい理由が好奇心からきているんじゃないかと思ったのと
立会い中に倒れる旦那さんがいたらしいとか
立会い後にセックスレスになる夫婦がいるらしいと聞いたので
私はあまり乗り気ではなかった。



夫は「どうしても立ち会いたい!」と言い続け
ついに私が折れて立会い出産のための講習を受けることになった。

講習を受けないと、夫は陣痛室にすら入れてもらえないというのが
私が受診していた総合病院の方針だったのだ。



講習日、指定された時間に指定された部屋に向かっている時
エレベーターに一緒に乗った夫婦の会話が聞こえてきた。

夫「なあ、陣痛室まででもいい?」
妻「いいから、とにかく講習受けて!」

いろいろな夫婦がいるなぁ〜と、夫と顔を見合わせて笑った。



講習では主に夫がどう妻をサポートするべきか、というビデオを見た。

私は高校の時に見せられた出産のビデオを思い出していた。
私は「出産って感動的だ」と思ったのだけど
同じビデオを見た先輩(女)は「出産ってグロい」と嫌悪感を抱いたという。

久しぶりに見た出産シーンは
これからリアルに自分の身に起こると思うと感動的というよりは
やっぱりグロテスクで、できれば避けて通りたい道に見えた。




講習会の最後に、講師の助産師さんが
「変わった出産方法を考えている方はいませんか?」と言った。

ひとりの妊婦さんが「ソフロロジーを考えています」と答えた。

その頃の私は生んだ後のことばかり考えていて
出産方法に選択枝があるなんてこと、思いつきもしなかった。


出産方法っていろいろあったんだね。
次回は和痛分娩に挑戦したいな。
出産方法・分娩方法
| みぃ | 学生妊婦 | 13:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
動く胎児
妊娠6ヶ月頃から胎動が始まったと、以前の記事で書いた。



お腹の中に自分とは別の命があり動いているというのは不思議な感覚だ。
これは妊娠した人にしか知り得ないものだと思う。



最初、ポコン…ポコン…だった胎動は
妊娠月数が進むにつれ、胎児が大きくなるにつれて
ポコポコとなり、ボコンボコンとなり
臨月になるとボコッ、ぐにょ〜ん、うにょうにょと動く様子までわかるようになった。

お腹に手を当てたり、胎動の様子を感じたりすることで
頭や手足がどのあたりにあるのかまでわかるのだ。

男の子のお母さんで、ボコッと蹴った足の形がハッキリ見えたって言う人もいる。




また、8ヶ月くらいから子供の好き嫌いも出てきたように思う。
私が甘いものを食べると嬉しいのか一時的に胎動が激しくなる。

これが血中の糖度が上がって子供が「美味しい!」と喜んだものなのか
私の「嬉しい」という感情を子供が感じ取って動いていたものなのかはわからないけど。

胎動が激しくなるのが楽しくて周りの人たちが私にせっせと甘いものを運んでくるので
私は妊娠中にでっぷりと太ってしまった。



妊娠7ヶ月の頃、話しかけてからお腹を軽く叩くことで
なんと胎児と会話することができるという話を聞いた。

話しかけ→叩く→胎動 というのを繰り返すことで
胎児がきちんと返事をする、というのだ。

早速試してみたけれど、当然最初のうちはうまくいかないもので
会話になる前に私が飽きてしまい、
私と胎児のコミュニケーションは私からの一方的な語りかけのみになってしまった。



でも、先日、子供の発達に関する講演会を聞いたのだけれど
子供の聴力ができあがる妊娠7ヶ月くらいからお腹に話しかけてやると
声を記憶していて、生まれた後も反応するのだそうだ。

知っている声を聞くと、赤ちゃんは安心するそうなので
私の一方的な話しかけも無駄ではなかったようだ。




教科書には、胎動は陣痛が始まり、胎児の頭が産道に降りてくると止まる、とある。

しかし、うちの娘はものすごい暴れん坊で
結局生まれる直前までボコボコと激しく蹴っていたつわものだった。

それはまた、別の機会に。
| みぃ | 学生妊婦 | 11:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
妊婦のダイエット
「妊婦は2人分食べないといけない」

そんなのは飢えと隣りあわせで生活していた時代の話だ。



この飽食の時代、妊婦は「2人分も食べるなんてもってのほか」だ。

妊婦は太りすぎると「妊娠中毒症」という
それはそれは恐ろしい病気にかかるリスクがあるのだ。



私が妊娠発覚した直後のこと、私の周りの出産経験のある女性は
揃って「12kgくらいなら大丈夫」と口にした。

自分は12kg太ったけど、妊娠中毒症にもならなかったし
出産後には12kgくらいならすぐに体重も戻ったよ、と。



ところが、だ。

私が結婚式を終えてホッとし、気が緩んで体重が急激増加した時
産婦人科の助産師さんは目を吊り上げて「太りすぎだ」と叱った。

その時、妊娠7ヶ月で7kg増加だったのだが
妊娠中は7〜8kgの増加が望ましいとういことで指導が入ったのだった。
(現在は7〜10kgと言われているらしい)



助産師さんは、食べる量を調節することと
散歩などの軽い運動をすることをすすめた。

また、足がむくんでいたので水分の排泄を促す(つまり利尿作用のある)お茶が良いという。
妊婦はカフェインをあまりとってはいけないので
どくだみ茶が最適よ、と教えてくれた。



私はさっそくスーパーでどくだみ茶を買い込み、飲みまくった。

どくだみ茶の話を母や義母にしたら
どくだみ茶が大量に送られてきたりして
出産後まで家には大量のどくだみ茶葉が残っていたのだった。



ただ、どくだみ茶も利尿作用はあったのだがダイエットにはならず
結局私は妊娠前から15kgほど太った状態で出産を迎えたのだった…
| みぃ | 学生妊婦 | 10:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
暇をもてあます
卒業までの怒涛の日々とは打って変わって
引越し後の私は暇をもてあましていた。

大学院生という肩書きは持っていても
研究室は子供が生まれてから通うことになっていたし
引越しの片づけが済んでしまってからは日々の家事くらいしかすることがなかった。



妊婦というのは太りすぎてもいけないらしい。
かと言って、激しい運動はしてはいけない。

今は「マタニティスイミング」やら「マタニティエアロビクス」やら
「マタニティヨガ」なんてものが存在することを知っているが
当時の私には妊婦に運動させるプログラムがあるなんて想像もできなかった。



だから毎日スーパーまで散歩したりキッチンを雑巾がけするのが唯一の「運動」だった。

あとは家でテレビを見たりゲームをしたり…
今から考えると、とんでもなくもったいない時間を過ごしていた。



どうせ時間があったのだから、いろいろ勉強すればよかった…とか
もっといっぱい散歩しておけばよかった…とか
もっといっぱい寝溜めしておけばよかった…とか(笑)

そんなことを少し後悔している。




振り返ってみれば、この時が最後の「平穏な生活」だったのかも知れない。

子供が生まれてからは、ノンストップのジェットコースターに乗っているようだ。
でも、生まれる前より生まれてからの方が、ずーっと楽しいと思う。
| みぃ | 学生妊婦 | 10:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
引越し
結婚式から後の話を書いていなかったのに気付いたので
久しぶりに思い出しながら書いてみることにした。

でも、何しろ5年も前の話になってしまったので記憶も曖昧…





当時、私たちが住んでいた家は彼(夫)が一人暮らしをしていた借家で
小さな庭のある古い一戸建てだった。

私は、この家が好きではなかった。
いや、正確に言うと夫の過去が詰まった空間が好きではなかった。

けれど、出産を控え、近い将来に大きな出費が確実にあるのに
收入がなかった私たちには新居へ引っ越すなんて、とても出来なかった。


私は「夫の家」で拭いきれない夫の過去を感じながら家事をし
大きくなっていくお腹をさすりながら未来を想像していた。



ところが、ある日、突然引越しの話が浮上した。

夫のラボの教授が、私の実家の近くへ引っ越すことを提案してくれたのだ。

夫も夫の両親も親身になって考えてくれる教授が言うなら、きっとその方が良いと考え
同じ事を提案したかったが自分たちが言うと角が立つと考えていた私の両親は大喜び。


しかし、何しろ私の実家は関東で、当時住んでいたのは中国地方。
大学院への入学は決まっていたが、とても通えない。
仕方がないのでコネを最大限に活用し籍だけ出身大学に置いて
実際には私の地元の国立大のラボで研究させてもらうことになった。



引越し先のアパートは大喜びしている私の両親があっという間に見つけてきた。
なんと、実家のすぐ裏にある、私が小学生の頃に建ったアパートの2階の一室だった。

私は実家から監視されるようで居心地が悪いと散々ケチをつけたが
大家さんが祖母の友人だったため家賃を格安にしてもらえることになり契約した。

実家から徒歩1分という近距離は、最初は嫌だったけれど
慣れてしまうと便利なもので、今では良い選択だったと思っている。



前の家の掃除もそこそこに、私は一足先に地元へ来てせっせとアパートの掃除をした。

「私たちの家だ」と思った。

あちこちに古さを感じるアパートだったけれど
そこは確かに「私たちの新しい空間」だった。



引越しの作業は、実家に泊まりながらゆっくりと進めた。
まだ寒い時期なのに暖房器具がなかったので部屋が寒く
お腹も大きくなってきていたため無理は禁物と周り中から言われたのだ。

夫は前の家を義母に助けてもらいながら片付け
義父と交替で高速を運転し、私の地元まで来てくれた。



私たちの新しい生活が、私のよく知る土地で始まった。



引越しするなら、しっかり見積を比較しなきゃね!




最近はこんなサービスもあるんですね



| みぃ | 学生妊婦 | 15:16 | comments(0) | trackbacks(1) |
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